津屋崎と会うのは、ちょうど2週間ぶりだった。
病院の関係者控室で、2人きりになって今までの状況を報告した康介。
「なるほど、康介さんは佐夜子さんにお会いになるところまでこぎつけたのですか…いやあ、私が託しただけの人です」
「でもね、宗史朗のことは一切話をしていないんだよ」
「なんと…」
「話をしちゃうと、彼女が話すら聞いてくれなくなるんじゃないかって思ってね…まあ、表現者の端くれとして台本を餌に話ができれば、そう思っただけなんだ」
「でもいつかは、坊ちゃまのことも…」
「ああ。そうなれば佐夜子さんの気持ちも変わるかもしれない」
都合の悪い現実を放置したままの現在…康介も津屋崎も、お互いに胸の内に不安を抱えていたのは事実だった。
「なあ津屋崎さん、アンタはテレパシーとか、信じるかい?」
康介は、先日体験した宗史朗との会話体験を津屋崎に明かす。
信じてもらえなくても仕方がない、そんなつもりで話をしたつもりだったが、津屋崎は意外と冷静だった。
「世の中にはいろいろな力があるといいます…坊ちゃまが心身の異常もないのに眠り続けている…そのことすら奇跡なのですから、これ以上何かが起きても驚かないですね」
その言葉を聞いて、康介は津屋崎に懇願する。今晩、もう一度この部屋に俺だけいさせてもらえないか、と。
「…かまいませんが、坊ちゃまと何をお話になりたいのです」
「…この台本を…書き直す…」
今日の宗史朗の心音は、いつもと同じように平静を保って、均一な感覚で刻まれている。
「宗史朗、俺の声が聞こえているならば、俺の心の中に入り込んで来い」
時間は間もなく午前0時を迎える。津屋崎がこの部屋を後にしてから1時間、そろそろ奴は来るはずだ…康介は宗史朗がやってくることを信じていた。
宗史朗の心音は相変わらず平静を保ったままであったが、そのこと自体、康介は次第に苛立ちを感じるようになっていた。
「いつまで自分の殻に閉じこもってるんだ、クソ野郎」
「クソ野郎とは、下品な言葉でののしってくれるね」
宗史朗の声が、あの日と同じように康介に聞こえてくる。
「…来たな、坊ちゃん」
「坊ちゃんとは…僕のことを、なんだか格下のように見下してくれるじゃないか」
「…この前は、何があった」
「何もないさ、本当に体に異常が出たんだから、どうしようもなかったよ」
「…いい加減にしろ、クソ野郎」
「…なんだよ」
康介は目の前のガラスに思いっきり右手のこぶしをたたきつけた。
強化ガラスで作られていたそのガラスは、打ち破られることはなかったものの、ズシーンと重い音を響かせ、細かく震えていた。
「オマエ、俺があれだけ逃げるなといったのに、逃げただろう…」
「いや、あの時は本当に体調が…」
「津屋崎のじいさんから聞いている。お前の身体には何の異常もないそうだ…」
「…」
「いつまでも逃げているのはお前の勝手だ。ただし、俺がこれからする話を聞いても、オマエが考えを改めないようなら、俺はオマエの仕事など受けない」
「…話を、聞かせてもらおう」
「…浅田佐夜子に会った」
「佐夜子に…会ったのか! 映画は、承知してくれたのか!」
「…条件があるようだぜ、彼女には」
「条件…」
康介は悪びれる風もなく、宗史朗に佐夜子とのやり取りで確認した“条件”を伝える。
「シナリオの結末を変えて欲しいとさ」
「…結末を?」
「ああ、あのシナリオだと、主人公だけが夢を追いかけて、主人公だけが満足するような終わり方になっているのが、お気に召さないようだ」
「…なんだって」
「そりゃそうだと思うぜ、オマエがオマエを主人公にして、オマエが一番満足できるシナリオになってるんだから、無理もないだろう」
「それは…僕の作品なのだから」
「そういうと思ったぜ。だが、オマエが一番出演してほしい、浅田佐夜子はシナリオの結末を変えて欲しいと言っている…逆の言い方をしよう、シナリオの結末を変えてくれたら作品に参加してもいい、そうとも言っているわけだ」
今夜は、宗史朗の心音が乱れることはなかった。
しばらく無言になった宗史朗は、かなり悩んでいるようだった。
自分が一番輝くシナリオを、一番大好きな女性に否定されたのだから、無理もないだろう。
「どうするね、坊ちゃん。すべてはオマエ次第だよ」
「…槙島さん」
「なんだ?」
「あなたなら…こんな時、どうしますか」
「…簡単なことだ、シナリオを変えるまでよ」
「…そうなのか」
「当たり前だ、映画でもそう、演劇でもそう…キャストみんなが納得して、それぞれが表現できる喜びを感じられたり、表現することの幸せを満喫できなくちゃな。そんな作品じゃなかったら、見ている人間を感動させることなんか、できるものか」
「…」
宗史朗の心音が少しだけ、ペースアップしたように聞こえる。
それを認めたと同時に、宗史朗の結論が明らかになった。
「シナリオを…変えてくれないか…槙島さん、あなたにすべてを…託します」