「シナリオを…変えてくれないか…槙島さん、あなたにすべてを…託します」
その言葉を残して、宗史朗はすべてのアクセスを途絶した。
康介がいくら語り掛けようとも、宗史朗は一切反応を返さなかった。
宗史朗の気分を確認できる唯一の指針、その心音も今は全く通常の状態のまま、乱れることもなければ、刻むことをやめるわけでもない。
「要するに、佐夜子に嫌われたくないだけなのか…それとも…」
康介には、もう少し掘り下げて考えてみたいことがあった。
正直、この件については“受ける”腹は固めていた。正直言って、今の世の中で演劇だけを志して食っていけるわけではない、でも…表現者の端くれとして、演劇であろうが、映画であろうが、自分がメインとなる表現の場をもらえるのであれば、それは自分の欲求を満たすには十分だったからだ。
ただ、金持ちのボンボンの手のひらで踊らされて作らされる映画など、それでは自動車学校で見せられる事故再現VTRと一緒だ…どうせなら、俺が考える俺のシナリオに仕立てて映画を撮りたい。
自身の中に芽生えた“欲”を満たそうと考えていた康介にとって、佐夜子が宗史朗のシナリオを拒絶してくれたことは、ある意味好機であった。
康介が考えたいこととは、宗史朗と佐夜子の関係であった。
宗史朗からの話では、相思相愛だったが親の事情で引き裂かれて、今でも思いはつながっているという話であった。
だが、佐夜子の弟、浅田誠也の反応がどうしても引っかかる。浅田誠也は、津屋崎の名前を出した時、明らかに態度が変わった。
津屋崎は、宗史朗と佐夜子の関係を「相思相愛」と表現した。しかし、それは事実なのかといえば、誠也の態度を見る限り、疑問符が残る。それに、佐夜子に対してオファーを出した時も、誠也の態度を踏まえて宗史朗の名前を一切出していなかった。
「どちらにせよ、真っ向勝負でいった方が、話が早いのかもしれないな」
康介は、宗史朗にわざと聞こえるように話したが、宗史朗の心音には何の変化も見られなかった。
翌日のランチタイム。
マルク=マリコに姿を見せた康介。
今度は「ああ、槙島さん」と、気さくに笑顔で挨拶をくれる浅田誠也。
「今日は君の、おすすめのパスタを作ってくれないか」
「僕の、おすすめですか」
「そうだ、君のおすすめをもらいたいな」
「…ボンゴレ、ビアンコ…」
「ありがとう、それをお願いするよ」
誠也は、先日と同じように自家製麺の器械を取り出し、手ごねした生地を丁寧に再度仕上げて、製麺機の中にゆっくりと入れていく。
手回しハンドルで、多少細めの麺を仕上げていく康介。
なるほど、オイルソースとガーリック、しっかり楽しませようとしているのだな。イタリア帰りを気取っている革ジャン姿の康介は、イタリア通っぽく勝手な推理をしてみた…普段はチェーン店のテイクアウトを配達しているだけの男だがね…一人脳内で会話をして、ほくそ笑んでしまった。
「ちょうどよかったです…今日は、いいアサリが入ったところだったんです」
「そうかい、それは僕にとっても幸運だったね」
康介は、差し出されたボンゴレビアンコをさっそく、冷めないうちにいただくことにする。
冷めないうちにいただくことも、目の前の誠也に対する誠意だと思ったからだ。
「いい、とてもいい」
「ありがとうございます」
「シェフが言うように、アサリの活きがいい。その活きを殺さないように、ガーリックをいいバランスで仕上げているじゃないか」
「いえ、そこまで褒めていただけるとは…」
「料理は作品なんだよね…料理人として、お客さんを悦ばせてあげたいと同時に、自分の腕前を理解してもらいたいという…作品なんだよ」
無言でうなづく誠也を確認してから、康介は言葉を選ぶように続けた。
「…ところで、お姉さんは…どうかな、伝えてくれただろうか」
「…姉は、あれから…」
「今日のアサリは本当に活きが良かった」
「は、はぁ…」
「シェフの腕前がいいから、いいパスタになる…いいパスタを作るために、君があのアサリを仕入れてきたのかい?」
「ま、まぁ…」
「じゃあシェフ、どこの産地のアサリなのか、教えてくれないか」
「それは…」
「お姉さんから直接聞きたいのだが、どうかな」
「…槙島さん」
「誠也、もういいのよ」
「姉さん」
既に、誠也と康介の話を聞いていたのだろう、佐夜子の声がするのと同時に、佐夜子は既に2人の目に見える位置に、足音をさせるまでもなく現れていた。
「先日はどうも」
「槙島さん、こちらこそありがとうございました」
「…弟さんの気持ちもわかります」
「いいのです。姉思いの弟ですから…きっと、私がまた傷ついてしまう事を、わかっていたのでしょう」
「…佐夜子さん」
「そして槙島さん、私が舞島宗史朗のことに気づいていないとでも、思ってらっしゃいましたか?」
「むしろその逆です」
羽織っていたエプロンをほどきながら、佐夜子は康介の傍らにやってくる。カウンターの隣の席に腰かけた佐夜子は、康介と目を合わせようとせず、話を続ける。
「あのシナリオは、舞島宗史朗のシナリオですね?」