「あのシナリオは、舞島宗史朗のシナリオですね?」
カウンターの隣の席で、浅田佐夜子は康介に問う。抑揚のない声で、感情を押し殺しているのが、明白だった。
「それがわかっているから、シナリオの結末を変えるようにと言ったのでしょう?」
康介も“大人の余裕”とばかりに、佐夜子の問いかけに対して問いかけで対応する。
「…大人って卑怯ですね、答えられない質問に質問で返すのだから」
「そりゃあ、39歳にもなれば持っている引き出しの数は違うからね…だが、25歳のあなたにだって、持っている引き出しはあるだろう?」
「質問に答えていただけませんか、槙島さん」
佐夜子は初めて康介の顔を見つめ、懇願するかのように康介を問い詰めた。
「佐夜子さん、あなたが思っているとおり、これは舞島宗史朗のシナリオです」
「やはり…」
「舞島宗史朗は2年ほど昏睡状態にあります。心身の故障もないにもかかわらず、です」
「…」
「そんな時、御曹司を失いたくない両親に対して、津屋崎がある提案をしたのです。“お坊ちゃまの作っていたシナリオを元に、映画を作って見せて差し上げて欲しい”と」
「津屋崎さんが…」
「津屋崎にも考えがありました。本当に映画を作ることで目覚めるきっかけになってほしいことと…」
「その続きは、もうおっしゃらなくても結構です」
佐夜子はカウンターから立ち上がると、一番日差しが注ぎ込んでいる窓辺に立ち、康介に背を向けたまま、話を続ける。光に照らされて輝く黒髪は、肩の下まで伸びていて、それが艶々しく輝いている姿に、康介は一瞬見とれてしまった。
「津屋崎さんは、私と宗史朗との間を取り持っていただいていました」
「…やはり」
「結ばれぬ恋とわかっていたのは、私だけだったかもしれません。ですが、津屋崎さんは私と宗史朗とを“普通の夫婦”になれるよう、色々助けてくださいました」
「…ここも、ですか」
佐夜子がコクリとうなづくと、話を聞いていた誠也は康介たちから目をそらした。
「誠也がイタリアから帰ってくる話を、津屋崎さんにしました。津屋崎さんは旧知の関係者を紹介してくれて、この物件を格安で借りることができました…でも、初めて来てみると、そこには既に厨房機材がすでにそろっていて…津屋崎さんは、そんな方でした」
「俺から言わせれば、この話は…金持ちの道楽というか、金に物を言わせた上から目線の行動ですよ」
いてもたってもいられなかったのだろう、誠也が会話に入り込んでくる。
「金持ちのボンボンは、いつか姉ちゃんを捨てる。この店の件だって、槙島さん…あなたが持ってきた映画の話だって、口止め料のつもりかと思うじゃないか!」
「誠也!言葉を慎みなさい」
「姉さん…」
吸ってはいけないgloを取り出し、おもむろに口にくわえる康介。それをとがめるものは、この店の中には誰もいなかった。それを確認して、康介は話を続ける。
「シェフ、君の考えもわかる。でも、今回の映画の件を持ってきたのは、この俺だ」
「…」
「津屋崎が関与していることも事実だ、それに…佐夜子さんが今思っていることも、事実だろう」
「…槙島さん」
佐夜子はおもむろに白い薄手のカーテンを開けた。
アンティークな喫茶店チックの木枠窓が現れ、そこに春の木漏れ日のような光の線が生まれ、店内にいくつもの筋となって降り注いでくる。
「津屋崎さんは、この店を宗史朗も含めて、私たちの居場所としてくれるつもりもあったのでしょう…私の夢が…映画を捨てた私の、数少ない夢の一つ…映画のロケ地になるぐらいの印象深い喫茶店を持ちたい、カフェをやりたいってことだったし」
佐夜子の一人語りは、誰かに聞いてもらいたいわけでもない、自分の心の中で生まれてくる言葉を、そのまま紡いでいるように聞こえた。その言葉を、康介はあえて干渉することなく、彼女の湧き出る感情のまま、彼女が話したいだけ話してくれるのを待つのみだった。
「宗史朗は、私と約束してくれました。私と一緒になりたいと…2年前のある日、宗史朗のご両親にお付き合いを反対され続けていた私たちは、駆け落ちをすることにしました」
“駆け落ち”という言葉を紡いだ時、多少くじけそうな表情をしていた佐夜子。
「…津屋崎さんが私のアパートにやってきて、“坊ちゃまに事情ができて、今は来られなくなった”と聞きました。それで、私は思いました…ご両親のことを優先したのだろう…ならば、私が自分の思いを実現しようとすれば、彼を板挟みにしてしまう…そう思いました」
改めて、康介の表情を確かめようとする佐夜子。康介は、表情を変えることもなく佐夜子の視線を受け止めていた。それに気づいた佐夜子は、自分の言葉を再び紡ぎ始める。
「津屋崎さんとは、あれからもお話をする機会はあります。このお店を手に入れたのは、宗史朗が昏睡状態になってから、それ以後の話です…ああ、ここは宗史朗の“帰る場所”になって欲しい…津屋崎さんの気持ちが痛いほどわかりました」
「それでも?」
康介の投げかけに、一瞬表情を変えた佐夜子。薄い桃色の紅を施した口元が、一瞬震えて見えた。
その様子を見て、康介は佐夜子に対して口を開く。
「君は、宗史朗を受け入れたくない自分と、葛藤しているんじゃないのか?」