いつもの自分なら、宗史朗の言うことを“本当にそうなのか?”と疑うだけの自分がいた。
でも、今日に限って言えば体が先に反応した。宗史朗の言うことを信じるも信じないも、佐夜子に生きていて欲しい、取り越し苦労であったとしても急ぐべきだ…康介はそんな気持ちになったのだ。
「津屋崎さん、今は何時だい?」
「まだ1時20分です。出かける前に佐夜子さんと会えれば心配は杞憂に終わります」
津屋崎の運転も、いつもより荒っぽく、普段通らないような裏道を通ってでも時間を短縮しようとしていることが伝わってきた。
津屋崎の運転するプリウスが、マルク=マルコに到着したのは1時40分ぐらいだった。
私のことはいいので、と津屋崎が言うのも確かめず、康介は店内に駆け込んだ。
「康介さん、どうしたんですか?」
慌てて駆け込んだ店内に、お客は誰もいなかった。カウンターの奥で誠也が製麺機の手入れをしているところだったが、そこに佐夜子はいなかった。
「佐夜子さんは?」
「姉なら、用事があるとかで出かけていきました」
「用事?」
「…康介さんは、今日の写真週刊誌を、読んでいないんですか?」
康介は無言で頷くと、それなら話は早いとばかりに、誠也が佐夜子の行動について話してくれる。
「佐那先生からご依頼を受けたと、弁護士の先生が来ましてね。事務所までご案内しますと、車に乗って出かけて行ったんです」
「佐那の…で、どこに行ったんだ?」
「いや…詳しくは聞いてないんですが…すみません。姉ちゃんが“大丈夫だから”というものですから」
「しまった…」
しまったって、どういうことですか!
誠也がカウンター越しに叫ぶのも聞くことなく、康介は店を飛び出した。
その様子を見て、津屋崎も事の深刻さを実感したようだ。再びシートベルトを装着しなおし、いつでも出発できるように体制を整える。
「康介さん、佐夜子さんは!」
「ダメだった、佐那浩二に先手を打たれた!」
「…困りましたな」
「おまけに誠也が、佐夜子さんに安心しろって言われて…佐那から依頼を受けた弁護士に連れられて車で外出していったらしいんだ、俺たちと入れ違いに」
「…で、その弁護士は?」
「わからない…誠也が相手を信用しきって、何も聞かずに外出させてしまったんだ」
助手席に座ったものの、これ以上打つ手がないことに絶望している康介。
「康介さん、二手に分かれましょう」
「二手…」
津屋崎はエンジンを再始動し、再び車を走らせる。最初の交差点の信号待ちに引っかかった時、津屋崎は次の作戦を提案する。
「私は車で佐那浩二の事務所へ向かいます。佐那浩二のことは、お坊ちゃまからも依頼があって…事務所や自宅などの場所は知っています。ここから近いのは佐那浩二の事務所ですから、先にそちらへ行ってみます」
「ありがとう、俺は…」
「大岡山の駅前…事故が起きる場所でお待ちになっていてください。私が佐那浩二まわりを調べてどうにもならなかったとして、最終的には康介さん、あなたが現場で佐夜子さんを確保してくだされば、悪夢は坊ちゃまの夢の中だけの話で終わりますから」
「そうだな…さすが、人生の先輩」
こうじゃなくては、大企業の社長秘書は務まりませんからね…珍しくニヤリとする津屋崎の表情を見て、康介は津屋崎に対する印象を少しだけ改めようと思った。
「今まで…ジジイとか言って、すまなかったな」
「…そんなことを言うのは、康介さんのキャラクターではありませんな」
「そうか」
「あなたには、どんな困難をも一転突破できる力がおありなのです。そのお力、今こそこのジジイに見せつけてやってくださいませ」
午後2時、康介は大岡山の駅前に降り立ち、津屋崎のプリウスを見送った。
小雨が降り始めた駅前は、横断歩道を小走りで走る人たちが見え隠れし始めた。雲が少しずつ空を覆い、スーパーのショーウィンドウの照明がやけに明るく感じられるようになり、街の光景は少しずつ変わっていった。
駅前の一番大きな交差点で、康介はじっと待つことにした。相変わらず人通りは多かったが、佐夜子のことを見落とすまいと、とにかく懸命に目を凝らし、雑踏を直視する康介。
津屋崎からは、何の連絡もない。
ここから20分ほど行ったところに、佐那浩二の事務所があるのだというが、用意周到な男だとしたら…事務所や自宅などに佐夜子を連れ出すだろうか…そんなことを推理してみた。
そういえば、バイト先の探偵事務所の所長が、こんなことを言っていたことを思い出した。
「面会の事実を知られたくない人間と会うときは、むしろ人ごみの中に紛れるように会う」
確かに、所長と一緒に張り込みをした時、ある芸能人の妻は白昼堂々と中目黒のホテルの中から現れた…でも、そのホテルはいわゆるビジネスホテルの中にある、何気ないただのカフェであり、芸能人イコール高級ホテル、という庶民の固定概念を裏切って人々をけむに巻いていたことを思い出したのだ…まさか。
康介は周りを見回し、手元のスマホでGoogleマップアプリを立ち上げる。
自分の心中によぎった“まさか”を、推察してみるために。