「私に…会いたくて…とは?」
康介の言葉に、動揺を隠そうとしない佐夜子。持っていた買い物かごはカタカタと揺れ、その音に気付いた佐夜子は自ら冷静さを保つかのように、そのかごを台の上に置いた。
「すみません…驚かせてしまいましたが、ようやくお会いできましたもので」
康介は改めて、自分の名刺を差し出す。
「演劇…役者さんなのですね」
「ええ…ですが、自分の夢を叶えるチャンスが来ましてね…そのチャンスを叶えるために、キャストを探していたのです」
「夢…いい響きですね」
夢という言葉に好印象を抱いたのか、佐夜子は口元にうっすらと笑みを浮かべていた。
翌日の午前10時。
康介は不安だった。大岡山の駅前にあるカフェで待ち合わせをしたものの、果たして佐夜子が来てくれるのかどうか。
それでも康介は信じていた…佐夜子が“夢”という言葉を聞いた時の、ささやかな笑みを。自分の気持ちは伝えている…果たして彼女は話を聞いてくれるのだろうか。
そして、いつかタイミングを見計らって、彼女には話をしなくてはならない。舞島宗史朗という人間のことを。
「お待たせしました」
待ち合わせ時間の5分前に、佐夜子はやってきた。
窓際の、通りからよく見えるテーブルに腰掛けている康介を認めると、多少小走り気味に店の中に入ってきて“連れがいますので”と言いながら、息が荒くなるのを抑えるように椅子に腰かけた。
「いえ、こちらこそありがとうございます」
「…昨日はびっくりしました」
「すみません。なんだかストーカーみたいですよね…」
「まあ、世間ではそういう見方もあるみたいですけど…私は、そんなに気にしていませんわ」
「助かります」
「弟のパスタの味を褒めてくださった方ですから、きっと人間が悪い方ではないと思いましたから」
佐夜子の言葉に安心した康介は、茶封筒の中から映画の台本案を取り出す。
「40歳が近くなって、俺の夢がかなう時が来ました…それがこれです」
台本案を受け取ると、佐夜子は最初の数ページをざらっと読み、いったんそれを閉じる。
「夢は、映画を撮ることだったんですか、槙島さん」
「まあ、演劇とか映画とか…表現者ってやつは、自分の名前を後世に残したいものなのです。今回、このシナリオに関わることになりまして…監督は別にいますが、キャスティングは主役の私に任されることになったのです」
「プレイング・マネジャーってところですか」
「まあ、そんなところです」
照れ隠しのように笑う康介を、佐夜子はクスリと笑いながら見つめている。
「で、この脚本の中にいる、ヒロインが私ってことですか」
「ええ…第一印象で決めておりました」
「第一印象…ですか」
「申し訳ありません、何度かあなたのことをお見掛けするうちに、あなたのその落ち着いたお姿の中にある情熱を、僕は感じ取ってしまったのです」
「情熱…ですか」
「ええ…その情熱は、昨日お話して、確信に変わったのです」
「…」
「あらゆる所作の中に、演技の基本というか、映画の基本というか…ああ、演劇とか映画とかに関わっておられた方なのかな、って思いました」
映画、という言葉を聞いた時、佐夜子の表情はやや険しくなった。
「槙島さん…」
「なんでしょうか?」
「槙島さんは、夢をかなえた後は、どうなりますか」
「え…」
康介はかなり動揺した。
夢というカードを切り出せば、こちらの話を真剣に聞いてもらえるようにはなるだろう、そう思っていたからだ。でも、夢をかなえた後の話…この答えを間違えたら、作戦は失敗だ…そう考えると、康介はますます動揺してしまった。
「すみません、変なことを聞いてしまいました」
「いや、困っているわけじゃないんです…夢をかなえることだけを目指して生きていましたから…かなえた後のことは、その時に考えればいいかなって…すみません、率直な俺の気持ちです」
「いいえ…槙島さんは、私と年が20ほども違うのに、なんだか私たちと同じぐらいですね」
「…と、言いますと」
「幼いって意味じゃないんです、誤解しないでください…20歳過ぎの若者と同じぐらい、夢と真剣に向き合ってらっしゃるなって意味です」
佐夜子は先ほど手渡された台本を数ページめくると、あるページでめくるのをやめた。
「この台本、夢をかなえる男の人の話ですよね」
「そうです」
「…ちょっと残念な話だと思います」
「…残念?」
「じっくり拝見もせずに申し上げるのはおかしいかもしれません…でも、この台本は…主人公の男の人が夢をかなえる話…男の人だけが、自分の夢をかなえる話です」
「…」
「夢っていう言葉は、誰にでも明日を、未来を与えてくれる魔法の言葉だと思います。私は夢って言葉、大好きです」
「…僕もです」
「だったら槙島さん、この台本の結末を少し考えなおしていただけませんか…この話は、夢がヒトリヨガリです。主人公だけが満足して終わり、そんな夢は夢と言ってはいけないと思います」
「…なるほど」
「すみません…隠していましたが、私は自主製作の映画も作ってきましたし、そのこともあって映画プロモーターを目指していた女なのです…この台本はいい作品だと思いますが、もっといいものにしていただきたいのです」
康介は思い切って佐夜子に尋ねた。
「では、佐夜子さんが思う結末に変えることができたら、僕の映画に出てくださると考えていいのですね?」