「おはよう…ます、おはようございます…」
康介が目を覚ましたのは、津屋崎に声をかけられた時であった。
昨日は大変だったのですよ…津屋崎から“あの後”の話を聞いて、改めて自分がどんな体験をしたのか、康介は振り返っていた。
“意識の中”で、舞島宗史朗と出会い、自分との相似性を指摘されたものの、何か違和感を覚えた結果、宗史朗との共闘を拒絶したこと。
そして、宗史朗の真の目的…浅田佐夜子と結ばれることを悟った康介が問い詰めると、宗史朗の体調が急変したこと…そこまでは事実として体験したことであった。
康介は、その後の話を津屋崎に聞き、宗史朗が生死の境を迎えていたことを聞かされた。
今まで何ともなかった宗史朗の体調が、いきなり脈拍が乱れたかと思えば、心肺能力の低下がみられ、生命維持装置がアラートを発する事態になったこと。
アラートにより看護師や医師が駆け付け、懸命の措置を講じた結果、宗史朗の体調は回復したとのことだが、今まであり得なかった症状であったために、医師たちは新たな検査を検討することになったとのことだった。
…ちなみに、親族控室に待機していた関係者…康介のことだが…アラートがけたたましく鳴り響く有様でも、床に大の字になって眠りこけていたと…この部分の話をするとき、さすがの津屋崎もあきれ顔を隠そうとはしなかった。
「で、康介さん…お考えの結果は、どうなりましたか」
津屋崎は康介から“検討の結果”を聞きたがっている風であった。それもそうだろう、検討するためにと関係者扱いにして、康介に黙考する時間と場所を提供したのだ、答えが少しでも早く欲しいに決まっている。
「答えは決まっているんだが…」
康介は回答を少しじらす。
実は「請け負う」ことを腹では決めていた…だが、ある1点がどうしても気にかかっていたのだ。康介は、そのことを単刀直入に津屋崎にぶつけることにした。
「浅田佐夜子のことを、津屋崎さんは知っているね?」
知っているね…康介はあえてこう聞いた。津屋崎のことを、宗史朗はどこまで信頼していたのか…今となっては、宗史朗の本当の気持ちを確認できるのは、津屋崎しかいないと思われたからだ。
「その答えが、今回の案件の決断に、どのように影響するというのですか?」
津屋崎も斜に構えて、何かを守ろうとしていた。
康介には、津屋崎も…そして宗史朗も、どうしてそこまで何かを隠そうとするのか、理解できなかった。
恋愛という、人間に与えられた崇高で甘酸っぱい行為…その行為のすべてを開陳せよとは言っていない…しかし、自身に対して浅田佐夜子との恋愛をモチーフにした映画を作れというのなら、そのオブラードを溶かしてくれてよいではないか。
「津屋崎さん」
「なんでしょうか」
「俺は、アンタの依頼を受けるつもりだ」
「…そうですか! では…」
「でもな、腑に落ちないんだよ…浅田佐夜子という女がこの世の中にいて、舞島宗史朗は彼女に恋愛感情を抱いていた…」
「何を…おっしゃりたいので」
「アンタがたが、浅田佐夜子という存在に気づかないはずがないだろう…この大学ノート、しらみつぶしに読み込んで、主人公…つまり、舞島宗史朗の理想の主人公である俺を見つけたのだから」
「…」
「ならば、ヒロインである浅田佐夜子の存在にだって、気づかないはずがないだろう…映画は作れ、でも浅田佐夜子の存在については不明瞭にされる…それでは健全な契約にはならないんじゃないか、津屋崎さん…それに…」
宗史朗さんよ…思わず言いそうになってしまった康介は、口を手で隠して、咳払いをする。
「康介さん…私は、少々あなたのことを軽んじていたようです…申し訳ありません」
「…詫びはいい、真実を…話してくれないか」
「…浅田佐夜子さんは、宗史朗様のあこがれの女性です。大学の同じゼミ、同じ映像研の1歳年上のお美しい、それでいて聡明な女性でございます」
「…宗史朗にはよかったのだろうが…そうではない…」
「…宗史朗様には、お父様がお決めになったお相手がおられます…当然、佐夜子さんのこともお話になったのでしょうが、お父様は当然承知されません…お母様に至っては、勘当を示唆されるほどです」
「それはひどいな」
「宗史朗様からは、ときおり代わりにと佐夜子さんへの言伝を頼まれることもございました…」
「佐夜子さんも、相思相愛だった…そう考えていいんだな」
「結構です…宗史朗様がまだお元気だった時、私はご両名から“駆け落ち”のご相談を受けておりました」
「駆け落ちねぇ…なんでやめた?」
「宗史朗様です。結局は…私にもその理由は分かりませんが…とにかく宗史朗さまは、佐夜子さまとのお約束の時間に、お約束の場所にお行きにならなかった…その直後、佐夜子さんとの連絡が一切絶たれ、自身の決断に後悔された宗史朗様は、自ら命を絶とうとなされた…そういうわけです」
康介は愛用のgloを取り出すと、看護師に見えないように部屋の隅に向かい、こっそりと吸いはじめた。さすがの津屋崎も、康介の行動を咎めようとはしなかった。
「安心しろ、津屋崎さん、俺はこの仕事を受ける」
「康介さん」
「…ただし、映画が作れるかどうかはわからねぇ」
「なぜです?」
「俺が…浅田佐夜子を出演させられることができるか、それがわからねぇからだ」