加熱式タバコっていいよね

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『ドリームキャスト』第7話 夢はヒトリヨガリ

更新日:2021.06.21
西園寺公文の連続小説『ドリームキャスト』

第七話 夢はヒトリヨガリ

 

初めて津屋崎に出会ってから、3日目の朝が来た。

康介は、オンボロカブを走らせ数十分…五反田を離れて、大岡山にいた。

「浅田佐夜子の居場所ですか? そりゃあ、知らないわけではありませんが…」

初対面の男性に、いきなり何を言われても合点がいかないのでは…津屋崎が止めるのも聞かず、なんとか居場所の手がかりを聞き出した康介はその足でオンボロカブを走らせた次第だった。

「マルク=マルコ…」

大岡山駅の近く、徒歩圏内の…いわゆる裏路地にあるイタリア料理「マルク=マルコ」に彼女がいると、宗史朗から聞いた康介。

とりあえず、怪しまれないようにと下あごの無精ひげはそり落としてきたが…まあ、逢えたら何とかなるだろうと楽観視しながら、康介は客を装ってマルク=マルコに入店しようとしたのだった。

 

「あれ、11時なのに…」

マルク=マルコは、かつて喫茶店だった場所をそのまま居ぬきで使っているような場所だった。オレンジ色のビニール庇が色あせ、そこに“茶房浅田”と書いてあるのを見つけると、康介は何かを確信して店の中に入った。

11時なのに、といったのには訳がある…大岡山の周りは、なんだかんだ言っても学生やサラリーマンが多く出入りしており、ランチタイムは格好の稼ぎ時のはず…なのに、この店にはランチタイムで稼ごうという気が見えなかったからだ。

「いいですかねぇ…」

カランコロンと乾いた鈴の音が鳴り、喫茶店の雰囲気を思い起こさせながら、康介は店内に入った。

喫茶店時代の濃い茶色のカウンターと、同色の木製テーブルを見つけると、康介はあえてカウンターの、厨房が一番見渡せる場所に陣取った。

「いらっしゃいませ」

そこには、自分より明らかに若い、シェフというには少々若々しいぐらいの青年がいた。

ちょうど、自家製麺のパスタを作っている時で、製麺機に向かって黙々と生地を投入していたところだった。

「ちょうどいい、リングイネをお願いできないか」

康介の一言に驚き、思わず顔を上げる青年。

「リングイネですか? お客さん、同業者ですか?」

「いや、イタリアに演劇修行に行っていたことがあってね…自家製麺なら、久々にジェノベーゼをいただいてみたくなったからな」

「もちろん、お答えしますとも…いやぁ…」

こんな店に、リングイネの旨さを知っている人が来てくれるなんて…康介に聞こえないように話しているつもりのようだが、明らかに声が聞こえている。

「エビとアボカドでいかがでしょうか?」

「結構だ、俺は鶏肉が苦手なもんでね」

 

打ち立ての自家製パスタ麺を取り出し、青年は沸騰させたお湯にそれをくぐらせる。

一方では、熱したスキレットの上にオリーブ油を流し込むと、程よく熱せられたのを確認してからエビとアボカドを絡め、素材そのもの味を引き立てるように少々の岩塩で素材を引き締める。

腕のいい若者だ…康介は若者の一挙一動に見とれてしまったのだった。

 

「どうぞ」

しっかりと熱せられ、保温のためにスキレットのまま提供されるジェノベーゼソースのパスタ。康介は手慣れた手つきでフォークとスプーンを使うと、麵だけを取り上げて味わう。

「いいな、旨いよ」

「ありがとうございます!」

若者の声は、本当にうれしさを隠せないような声だった。

その声に呼応したのか、康介は自身の身の上話を交えて、さらにパスタを褒め始める。

「俺は演劇をやっていてね…イタリアで武者修行していた時、金がなくて…いつも残り物のパスタを分けてもらって食っていたが…こいつが一番うまかったよ…しかし、こうして目の前で麺を打ってもらえると、俺はまだまだ本当のパスタの旨さを知らなかったようだ」

若者は帽子を取ると、無言で康介に一礼する。

「ありがとうございます!」

「いや、素直な感想を述べただけだ。俺は料理研究家でもなんでもねえから」

「いえ…料理も演劇も、相手を喜ばせたい、勘当させたいという気持ちは一緒です。だからこそ、分かっていただけたのだと思います」

「そうだな、一緒だと思うよ…俺も」

 

康介はジャケットの胸元から、一枚の写真を取り出す。津屋崎から預かってきた、浅田佐夜子の写真だ。その写真を見た途端、若者はいままでの表情を一変させる。

「お姉さんだね、君の」

「…誰なんですか、あなたは」

「悪い人間ではない…俺が関わる映画、君のお姉さんに出てもらいたい、そう思ってね」

「姉は…映画からは足を洗ったんです」

「…洗った?」

食後のコーヒーを差し出しながら、若者は康介と視線を合わせないようにしながら話し続ける。

「裏切られたんですよ…映画を一緒に作ろうとしていた男に」

舞島宗史朗に…そう言いそうになった康介は、あえてその言葉を飲み込んだ。

この名前を出すのは、新たな情報を聞き出すためには不都合だ…そう判断したからだ。

「しかし、この写真をなぜ持ってるんですか?」

「…演劇界では、オーディションに応募した人間の情報は筒抜けだよ…それだけ、自分の作品のキャスティングには徹底的にこだわるからね」

「そうですか…でも、姉はもう映画にも演劇にも、興味はありませんから」

「そうなのかい…」

「それに、姉はここにはいません」

「ここには…いない」

「さっき話しましたけど、ある男に裏切られてから、姉は精神を多少病んでしまいました…姉の大学時代の先輩の伝手を頼って、今は信州で療養生活です」

「そうかい…それは残念だったよ…でも、いいパスタに出会えたことには感謝だ…また来てもいいかい、客ならばいいだろう」

「もちろんですよ…こんなにパスタのことを知ってくれているお客様を、むげにはしませんよ」

料理の話題に戻ったことで、再び康介と視線を合わせるようになった若者。表情が温和になったことを確認した康介は、ある考えを実行に移すことにした。

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