加熱式タバコっていいよね

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『ドリームキャスト』第8話 夢はオワナイシュギ

更新日:2021.06.21
西園寺公文の連続小説『ドリームキャスト』

第八話 夢はオワナイシュギ

若者の入れてくれたカプチーノは、イタリアで当たり前のように飲んでいた、ほろ苦い中にミルクの柔らかさが引きたつ、絶品の品物だった。

この大岡山で、こんな庶民的なイタリア料理に出会えるなんて…康介は、そのことだけで“今日はいい一日だった”と考えられるようになっていた。

ただし、目の前の若者…浅田佐夜子の弟という壁を打破できれば、このカプチーノの甘みをしっかりと味わえるのではないかとも思っていた。

 

11時の開店と同時にこの店に来てから、もうすぐ1時間。

他人がこの店に来る様子もなく、ランチタイムを当て込んで看板を出そうとするわけでもない。店の前の通りは、大きな通りとは1本離れているといえども、そんなに人通りが少ないわけでもなく、ランチタイムの看板を掲げれば、OLたちがやってくる立地条件ではある。

それでも…そこまでの手を打っていないということは…この店が開店早々だということを意味している。

開店早々で、1人しか見えないスタッフだけで、これだけ店舗の中をきれいに掃除ができているものか…先ほどトイレに行った時も、トイレットペーパーの先端が三角に折り込んであったぐらいだ。

“姉は信州にはいない、ここにいる”

その確信を得るために、康介は1つの策を実行に移すことにしたのだ。

 

「シェフ、この人の名前を知っているかい。君のお姉さんを紹介してくれた人なんだ」

康介は津屋崎の名刺を差し出し、内容を確認するように促す。

「…」

「…この人が個人的に演劇通でね、映画にも造詣がある人なんだ。立ち飲み屋で意気投合して、個人的にパトロンになってもらっている」

「…そうですか、私は…」

「いいんだ、いきなり君のお姉さんの写真を見せられたら、誰だって驚くだろうよ」

康介はそういうと、今度は自分の名刺を若者に差し出す。

「俺は槙島康介。しがない劇団の座長代理みたいな人間だが、自主製作の映画を撮ることになってね…津屋崎さんにも応援してもらうことになったんだ」

「そうなんですか」

「俺の作品にはさ、どうしてもヒロインが欠かせなくてね…誰かいい女性を知らないかと業界人に声をかけたんだが、津屋崎さんが君のお姉さんをご存じでね、第一印象でスカウトしたいと思ったのさ」

「…」

「申し訳ないが、あくまでルックスなんだ。俺のキャスティングの流儀は、やっぱり直接会って、価値観が一緒になれるかどうか、それで決める流儀でね…まあ、逢いたかったが残念だよ」

「すみません」

「謝ることはない…もしお姉さんが元気になったら、俺の名刺を渡してほしい。どんな作品でも、君のお姉さんに出てもらいたいと思っている…ああ、演劇や映画から足を洗ったといっても、俺は口説き落とす自信があるがね」

 

康介は千円札を2枚、カウンターの上に置く。釣りはいらないとポーズをしながら、店を後にする。申し訳なさそうに頭を何度も下げるシェフは、ようやく自分の名前を名乗った。

「浅田誠也です。姉には必ずお伝えします」

「無理はしなくていいよ…また来る」

何度も会釈をする誠也の姿を見ながら、康介は店を後にする。

いや、後にするというのは嘘だ。康介は店の裏口が見える位置を探り始める…探偵事務所でのバイトが、こんな時に役に立つとはね…そんな独り言を言っているうちに、ちょうど裏口が見える位置に公園を見つけた康介。

大の大人がブランコを漕ぎながら、ちょうどあの店の裏口を見渡し続けたのだ。ランドセルを背負ったまま、茫然としている子どものことなど康介には眼中になかった。

 

ブランコを漕ぎ続けてから1時間30分ほどたったころだ、ゴミ出しをするために浅田誠也が裏口から姿を見せた。何個かのゴミ袋を取り出しては、裏口のポリバケツに入れている…店の中からは、誠也ではないもう1人の人間の手が伸びており、ゴミ袋をバケツリレーのように送り続けている。

「ビンゴだな…」

康介は次の行動に出る。

ゴミ出しが終わったことを確認すると、康介は気配を殺しながら先ほど確認したごみ袋を目指す。

まるでホームレスのように静かに袋を開け、中身を確認する。はたから見れば、ホームレスとしか思われないありさまだった。

「スーパー東進、トップマート…」

康介は、この店がどこで買い物をしているのかを確かめていた。店を開けている時間帯、浅田誠也は買い物に行けるわけがない…夜営業に向けて、不足する食材を手に入れるしたら…誰かが買い物に行くはずだ…そう考えたのだ。

 

康介は考えていた。

あの誠也が、姉に来客の事実を伝えるわけがない。ましてや、嫌っている演劇や映画のオファーだ…津屋崎の名刺を見た時の嫌悪感を隠そうともしないあの表情、少なくとも俺の来訪すらもみ消すだろうさ…ならば。

「浅田佐夜子が出てくるときに、直接捕まえるしかないだろう!」

独り言をつぶやきながら、康介はヘルメットを装着…オンボロカブにまたがってから、康介は再び動き出す。これから夕暮れの午後5時ぐらいまで、そのころまでを限度にして、スーパーで張り込むためだ。

 

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